娘が巣立っていった後で、ある時、言いました。
「お母さん、うちの家族は、人の批判をしないよね。
でも、他の家の人は違うよ。うちは特別だと思う。」
って。
それは私には寝耳に水でした。
そんなことを考えたことも感じたことも有りませんでした。
しかし、確かに我が家の誰も人の批判をすることは有りません。
家族同士ではめちゃくちゃに言い合うのに、それが他の人に及ぶことは有りません。
そんな習慣が無かったのです。
それから、そんな話がされていたら心地よくは無いので加担することは
なかったのです。
娘の指摘で、私はそのことを初めて認識しました。
それと同時に、うすうす感じていたのは、娘が人の批判が出来ないということでした。
指摘しなければならない時にも、とても感じよくその場を終えてしまいます。
何て外面が良い子だろうと思っていたのですが、好感度とは別に
言うべきことを言えないということが分かりました。
何と言うことでしょう!
子供の教育は、いつの間にかこんな風に形作られていたのです。
娘は、言えないで自分で抱え込んでしまってパンクしてしまうことが有ります。
何回かパンクしたら免疫が出来て強くなるか、ガス抜きの方法を覚えるでしょう。
しかし、社会生活上では、言いにくいことや批判も言わないで避けられないので
その方法を覚えるしかありません。
私の尊敬するある方は、私への批判を、みんなが談笑する場面で
笑い話にしてみんなに言いました。反論の余地が有りません。
憎いけど上手いなあ~と思った手法です。
笑顔や好感度の高さだけが人に受け入れられる訳では有りません。
また、物事には全て裏面が有りますね。
子供が成長したから分かる子育ての結果です。