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女将 女将奮闘記
サイト開設までの経緯編 vol.7
迷いのときに
中川社長に状況をお話すると、今度、オフィスに遊びに いらっしゃいと言われました。 銀座4丁目のど満中にあるビルの1フロア全部を 借り切ったソーホーオフィスです。 会社を退職してから、訪問しました。
心地よくレイアウトされた応接室に案内されると、暫くして中川社長が現れ、「もうすぐJTの○○さんと、××貿易の社長が来るから一緒に打ち合わせしよう」とおっしゃいます。

その打ち合わせとは、ある大手企業が飲料水事業に新規参入するので、そのために布石を打つ。 北陸のパチンコ会社のオーナーの節税対策のためにその事業を利用する。 銀座のソニービルを再利用するために某自動車会社とのタイアップをさせる。というようなスケールの大きな話でした。

私は内容もよく掴めないまま、各社の経営者や役員、そして担当者の中に入って、一緒に討論していました。 そんなことをしている自分が不思議でした。 何か大きな渦巻きに引き込まれたようにどんどん色んなことが起こります。

中川社長は、製菓業経営をベースにして、ビジネスモデルという言葉がなかった20年以上前から新しい経営アイデアを出し続け、それを形にして成功を収めた方でした。< 各方面から経営コンサルティングを依頼され、多くの人と情報に囲まれていました。




私は通常は、自宅で新事業開始のための準備をしていました。 起業セミナーを捜して受講申し込みをし、図書館に通って起業に関する本を読み、必要なデータの統計資料を探したりファイリングをしたり、あっという間に1日が終わります。

そして時々、中川オフィスに通って、様々なビジネス展開を垣間見させていただいました。 こうして何が役に立ったかと言うと、ビジネスのやり方ではなく、明るい気持ちで明日を語る人たちの間にいた事で、自分のやる気を持続できたことです。

何の仕事をしていいか分からない迷いの状態の時って、どうしても落ち込んでしまうし、自分に自信を無くしがちになるんですが、中川オフィスでエネルギーを充足させていたので孤独感がありませんでした。

この間、某大学教授の秘書をやらないかというお誘いをいただいたりしたのですが、今また就職したのでは、もう羽ばたく機会は ないと思い、お断りしました。今思い返しても、この時期が一番苦しかったと思います。 真っ暗闇のトンネルの中に居て、出口がどこにあるか分からない状態というのは「助けて」とも言えない苦しみがあります。

誰からも何も期待されていません。 会社員の主人は、「君なら働きに出れば仕事は有るんだから、外に行った方がいいよ」 と言います。 理解はされず、でもやろうとすることを止められなかったのは幸運です。

この時に諦めずに自分を求める方向に押しやったからこそ新たな 道が開けてきたのだと思います。 ですから、この時期の恩人中川社長には、本当に感謝しています。

 

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