● 牛首紬と初めての出会い

私が牛首紬と初めて出会ったのは 2000年の6月です。
会社を辞めることに決めてから、ほっとした気持ちの中にふっと、突然のように浮かんできた「きものを着たい」という気持ちからきものの展示会めぐりをした中で出会ったのです。

東京品川の大きな展示会場の中には、さまざまな高級きものが飾られていました。
買う気も特になく、きもののことを知りたいという気持ちだけから何となく見ていたのですが、ふと足を止めた所に、牛首紬はありました。

初めて見る、とても美しい布でした。今、振り返ってみると、きものというより布として私は捉えたように思います。
それほどきものらしくなかったのです。
私が見た牛首紬は先染めで、無地や縞というとてもシンプルなものでした。

柄や色で演出しない、 自然なありのままの素顔でいるのです。
ところが、最高に輝き品格に満ちている。 そんな力強い布でした。
凛として輝く光沢としなやかな風合い、はりがあるのに柔らかい。そんな布に初めて出会いました。


牛首紬という聞きなれない名前を聞き、ダムの下に埋もれてしまったというストーリーを聞きながらも、「こんなきものがあるんだ」という不思議な気持ちが強くありました。
草木染めだということや、釘抜き紬と言われるほどの 丈夫さがあるというのは、知識として耳に残りました。

ゆっくりとそのきものを味わう時間もないまま、展示会場を後にしましたが、その後、私の頭から牛首紬が離れませんでした。
そして何をしたいという方向性も定まらないまま、私は再び牛首紬を探し出しました。
展示会に案内してくれた呉服屋さんに聞いても、牛首紬は、もう展示してないと言われたので、東京中のデパートを探し回りました。
三越、高島屋、松屋、東武、伊勢丹など、どこに行っても「ありません。いつ入るかも分かりません」と言われました。
その中で、牛首紬は幻の紬であるという感を強くしました。

生産反数がとても少ないので、デパートに置けるほどの量がないこと。
また、生産者が少なく、技術の継承も容易ではないために、一時は滅亡しかかったという歴史が物語る希少性です。

その後、牛首紬の生産者の方と出会い、販売するようになりました。
この後の経緯は、メルマガの「女将奮闘記」をお読みください。


●  牛首紬の強さの実証

釘抜き紬と言われ、釘をひっかけても、きものが破れるのではなく、 釘が抜けてしまうと言われるほど牛首紬は丈夫です。 でも、それってホント〜? それに釘をひっかけることは少ない今日この頃ですね。(笑)
そこで、丈夫さの証明です。

どしゃぶりの雨に濡れて大丈夫
 (ある牛首紬アドバイザーAさんの経験)  

牛首紬を着て出かけたら、あいにく雨に遭ってしまいました。  
どしゃぶりの雨だし、雨コートも無く、すっかりびしょびしょに濡れてしまいました。裾から膝上まで水びたし状態です。 ええ〜ん、困ったと思って家に帰ってからハンガーに吊るしておいたら、水が乾くと共にすっかり元の状態に戻りました。縮みも色落ちも何もなく、完全に元の状態です。
この時は本当に、牛首紬を心強く嬉しく思ったそうです。(^v^)

雨に強いとは、私もいつも有り難いと思いながら実感しています。
牛首紬で雨や水に当たってしみになったりした事はありません。
だから、雨の時は牛首紬は着ます。
ちりめんのきもので雨に遭って、散々な目に遭った女将としては、この強さは着る人のすばらしい味方だと思えます。

○ 18年使って、まだ平気 (女将が見ました)

ある牛首紬アドバイザーBさんは、20年以上牛首紬のアドバイザーをなさっています。
毎日のように牛首紬を着ているのです。
18年前に作った牛首紬の訪問着を頻繁に着て、途中で1度色を掛けました。
2回、仕立て直しもしました。

袖の部分に小さな穴が2ケ所できました。
穴が開いたし長く着たから、もう処分しようかなと思ったのですが、その穴以外は、どこも痛んでいません。
そこで、色を抜いて小紋柄に染め直しをしました。その小紋が仕立て上がったところに女将が遭遇しました。

たとう紙を開くと、「えっ、これが18年間使っているきもの?」という新鮮さです。
生地の痛みがほとんどありません。
牛首紬独特のつややかで凛とした光沢はそのままだし、しなやかさは着慣れたいい感じに落ち着いています。
新品と言われても分からない程です。

アドバイザーさんの着方は、半端ではありません。  労働着のように、どんどん着ていらっしゃるんです。
それなのにこの丈夫さです。
アドバイザーさんに比べたら着る回数も少ない女将ですが、この丈夫さははっきり分かります。 


○ すごい!すごい!100年生きている牛首紬 (はい、しっかり女将が見ました)

牛首紬を作り続けている生産者の家にに代々伝わっている牛首紬を見せていただく機会がありました。
奥様が姑さんから譲り受けたというその牛首紬は、黒い羽織になっていました。
100年前(江戸時代)から伝わっているそうです。
最初はきもので、それが羽織に形を変え、色も何回も掛けかえられて、最終的な色である黒になったのでしょう。

飾り物や技術継承のためでは無く、日常着るきものとして受け継がれているのです。
「今、着ている羽織です」と言われました。

まず初めに見た時に、生地が生き生きしていることに驚きました。
牛首紬独特の光沢も失われていないし、年月を経て着ることでしなやかさが増し、いかにも着易そうになっています。
生地が弱るとか薄くなる、貼りを失う、腰がないというような要素は全く無いのです。
孫子の代まで着られますとか、きものは一生ものです。などという言葉を使いますが、このきものを見た時に、本物のきものの生命力の長さを実感しました。

「わあ、着易そう。着たいな〜」と、その黒くてシンプルな形の羽織に向かって言ってしまいました。
人の命よりきものの命の方が長いとは、何かを感じさせてくれます。

● 牛首紬は呼吸する。だから?

冬、暖かい

寒いときは結城紬を着る。大島はもっと涼しくなってから着ると言われます。
これは、結城紬は暖かく、大島はそれほど暖かくないということです。
ところが、牛首紬はとても暖かいのです。
空気を含んだ、呼吸する紬だからでしょう。
まるで空気の層がもう1枚あるようで、寒い冬の日に着たくなるきものです。

夏、涼しい

夏牛首紬は、とても涼しいのです。
湿気や気温が高い6月に着ていただくとほっとします。


夏牛首紬は盛夏と単の頃、4ケ月通して着ていただけます。
この4ケ月は、突然の雨や汗、湿気が高く、「外出途中で、きものが濡れないか?」と気をもむ時期でもあります。
その点、牛首紬は雨や湿気にとても強いから、安心して着ていただけます。

また、 しわになりにくい のも特徴です。
しわにならないと言えば嘘になりますが、しわになりにくいので、女将のような大ざっぱな性格でも、立ち居振舞いにそれほど気を配らなくても着ることができます。


● 牛首紬の用途

最高のときと一番身近なきものとして
美しいキモノ2001年春号 P240に掲載されている「清水とき交友録」から

元衆議院議員 園田天光光さんは、園田 直元外務大臣夫人 としても有名な方ですが、 その方が、議員になった時に、牛首紬をお父様から贈られたそうです。それが50年前の話。
そして現在、家で普段着として愛用しています、と。

これは凄い話だと思いませんか?  議員就任の記念品に相応しいきものとしての格と高級感、そして毎日着るきものとしての着易さ両方を牛首紬が持っているのです。

女将のお茶の先生も、牛首紬を日常着となさっています。
「こんな贅沢なことはないわね」と言いながらも、着易さと実用性から、手放せないきものになっているのです。
天光光さんも、このお茶の先生もきものの贅沢を沢山なさってきた方だと思います。
そんな方が好むきものが牛首紬なのです。

● 牛首紬に魅せられて


牛首紬に魅せられた方々や、牛首紬が題材になっている小説など

○ 直木賞作家 
高橋 治 氏の小説 「紺青の鈴」、 風の盆恋歌

○ 小説「風の盆恋歌」の舞台となった 富山県八尾町の「
越中おわら風の盆

○ 風の盆に魅せられたなかにし礼氏が作詞した石川さゆりさんの歌「風の盆恋歌」

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